バスはメキシコの町を抜けて砂漠を抜けてChihuahuaへ向かうのだが、
メキシコの町を見ていると笑える事がいっぱいある。

まず、大きな交差点(渋谷の駅前ぐらいのところ)でも信号がついているところが少ない。じゃあ、みんなどうやって横断するかと言うと、人々はダッシュで、車はなんとなく譲り合いで渡る・・・
子供を抱っこしたおばちゃんが両方向で合計6車線あるような大きな通りをダッシュでわたる・・・
そのダッシュのせいか、野良犬も歩道を車に沿ってダッシュしているのが多い。
また、おじさん連中は30歳後半ぐらいからみんなちょび髭を生やし、大きなバックルが入ったベルトで、ジーンズにメキシカンハットと言ういでたち(ちょうどドンタコスのCMの人みたいなの)がほとんどだ。
女の人は普通な格好だが(と言っても、日本人の女性のようなおしゃれさも派手さも無い。ちょうど裕子ちゃんがツーリングの時にしているような服装)。

Chihuahua市に着いたのは、夜の11時ぐらいだった。
この時間になるとバスターミナルも町の中も誰も人がいない。
どこか泊まるところを見つけなければいけないので、まだやっていた売店のおばちゃんにさっそく、つたないスペイン語で「ホテル、どこか知ってますか?」と聞いたつもりだが、通じたらしくか見にホテルの名前と住所を書いてもらった。
 そのメモをタクシーに見せてホテルへ向かったが、タクシーの運転手が英語が通じるホテルがあるのでそこはどうかと勧めてきた。なんか嫌な予感がしたが、運転手の勧めに従いその英語が通じるホテルへ向かった。
 メキシコのホテルになると、普通の所だと日本の地方の怪しいビジネスホテルみたいな感じだ。もちろんHilltonなどもあるが。僕が最初に泊まったところは確か日本円で2000円ぐらいだった。これはどちらかと言うと高い。たぶん、外人料金なのだ。
タクシーの運転手はホテルの受付に紹介料をもらってたという点以外はまずまずな場所だった。

 次の日の朝、さっそくChihuahua市を探検する事にした。この町には何にも観光の場所が無く、当然そんな事を知らない僕は地図も無くただ気の向くままに歩いてみた。
 もう9:00過ぎだったが、町はまだ通勤・通学の余韻が残っていた。
 やはりこの町でもみんなじろじろ僕を見る。中には車の中から大声で何やら声をかけてくるやつもいたり、すごい女の子は何やらメモを僕に渡してきて、電話をしてくれと言い放ってゆく子もいた。メモには電話番号と名前が書かれていたが、僕はスペイン語がしゃべれないと言う事必死で伝えたが、おかまいなしだった。
 まだ朝ご飯を終えてなかった僕はさっそくスーパーへ向かった。
 スーパーには警官が何人か配備されていて、かばんは警官に預けなくては入れない仕組みになっている。たぶん、万引き・強盗が多いのだろう。サンドイッチみたいなのとパンケーキとヨーグルトジュースを買ったが、さすが物価の安いメキシコ、全部で100円くらいだった。だが、音楽CD・ジーパンはアメリカと全く同じ値段だった。また、洗濯機はジーパンと同じ値段だ。洗う物と洗われる物が同じ値段・・・
この国の物価は変だ。タクシーやバスなどの移動手段は日本と値段。音楽CDとジーパンはアメリカの物価。食べ物と宿泊費はメキシコの物価。

 やはりこの町の中心地にも教会と公園があり、人々が集っていた。
僕はその公園で朝食を取る事にした。朝食を食べていると、一人のおっさんが話し掛けてきた。そのおっさんは英語がしゃべれたので、いろいろしゃべってみた。当然おっさんの名前は忘れた。
 僕とおっさんは昼ぐらいまでしゃべっていたが、一つ疑問があった。『この平日に昼間にこのおっさんは一体何をやっているんだろう?』
 僕の疑問におっさんは「いや、仕事中だよ。今は休憩のためこの公園にきたんだ。」と答えた。だが、「でもさ、もう1,2時間くらいここにいるんじゃない?大丈夫なの仕事。」と僕はさらに質問した。
「仕事?大丈夫だよ。」と言っているそばから、公園の側道を走っていた一台の車が止まり、車の中から一人のおっさんが僕としゃべっていたおっさんに何やら叫んでいた。「あれは同僚だよ。あんまり休憩しすぎると、怒られるぞと言ってるよ。じゃぁ、もうそろそろ戻ろうかな」と、おっさんは僕に別れを言い仕事に戻っていった。
 
 教会からしばらく歩くとアーケードがない商店街みたいなところがあった。
そこではメキシコの民族衣装を着たおじいさん5名がメキシコの楽器やアコースティックギターを使って音楽を奏でていた。それは新宿などのながしの連中とは違って、とても自然だった。町の中に溶け込んでいた。しばらくおじいさんたちの音楽に耳を傾けた後、さらに商店街みたいなところを先に進んでみた。すると車が走る大きな通りに来た。さて、どちらに向かおうか考えていると、制服を着た女子高生の一団がやってきた。
 そして、その中の一人の子が英語で「英語はしゃべれますか?」と言ってきた。
日本で言うクリスチャン系の学校の女の子たちだとすぐにわかったので、『げっ、こんなところで宗教の勧誘かよ。』と思いてきとうに返事をして逃げようと思った。
 「うん、少しならしゃべれる」と返すと、「何処からきたの?」と先ほどの子がまた質問してきた。
 彼女の名前はカーラ。ショートヘアで身長は160センチに満たないくらいのしっかりした顔立ちの子だ。
 もうお昼になっていたのだが、彼女たちは学校を追えて家に帰る途中だったらしい。他の子達の名前は当たり前のように覚えていない。カーラも彼女たちも英語は達者で、カーラは僕よりもうまいが、アルファベットの「C」の発音はスペイン語なまりで「ち」と発音する。そして彼女はそれが正しい発音だと思っているらしく、僕が正しい「C」の発音をすると「なんて発音してんだ!?」と言った顔をする。
 総勢、6,7人いたのだが、彼女達が少しばかり町を案内してくれる事になった。と、いってもこの町は観光するようなところがない。カーラも「りょうはどうしてこの町に来たの?ここは観光するような場所がないわよ。」と言っていた。

 町の役所や先ほど行った教会、彼女たちの学校も訪れ、カーラ以外の女の子はみんな帰ることになった。カーラは僕を食事に連れて行ってくれるらしい。
と言っても、学校帰りだったのでまず彼女の家に行く事になった。
 彼女の父はなんと、政治家だった。州議会の議員らしい。日本は中央集権制なので、地方議会の議員はそれほど重んじられていないが、アメリカやメキシコなどの合衆国制、つまり地方分権制の国では地方議会、州議会は大きな力を持っている。そう、彼女はいいところのお嬢さんだ。ちなみに彼女の母は普通の人。
 カーラの招きで、家の中に入らせてもらった。カーラのおじさんはコロンビアのマフィアのような感じで、カーラの話どおりぶすっとして言葉少なめだ。母さんの方は女の人にしては背が高く、こぎれいにした人だ。おじさんもおばさんもスペイン語しか話せないし、娘が突然外国人をしかも稀に見るアジア人を連れてきたことにやはり驚いているようだった。それでも、カーラの母さんはケーキやジュースを出してもてなしてくれた。
 さすが政治家の娘なのだろうか、カーラは「私の尊敬する人」と言いある政治家の伝記を持ってきた。それは確か「チェ・ゲバラ」だった。

 チェ・ゲバラはキューバ革命に貢献した一人だ。キューバ革命について簡単に説明すると、もともとスペイン領だったキューバだったが、ソビエトの対アメリカ政策(アメリカ本土に近いところに社会主義国を置けばアメリカへの牽制になる、われわれ日本もソビエトを牽制する為にアメリカに作られた国と言える)と社会主義ブームに乗って多くのタバコ栽培労働者(キューバの葉巻は世界一!また、もともとスペインの植民地らしい)を開放するために行われた。そして、キューバはカストロ首相を中心に社会主義国になった。肝心のチェ・ゲバラはキューバ革命を助けた後、南米へ移動し暗殺されたらしい。(僕もあまり詳しくは知らない)
キューバ革命についてはこの他にもたくさんの要因を持ち、たくさんの場所に影響を与えた。やはりメキシコも大きな影響を受けている。なぜ、キューバ革命が大きな影響を回りの国々に与えたかと言うと、当時、南米のほとんどの国は植民地であり南米の人々は奴隷だったのだ。
 余談だが、世界で最も美人が多い国と言われるブラジル。なぜならブラジルの美人は白人・黒人・黄色人の血が混じっているからだ。しかしなぜブラジルには白人・黒人・黄色人・インディアンがいるだろうか?それは、インディアンしかいなかったこの国に白人が侵入してきて、奴隷として黒人を連れてきたからだ。そしてインディアンもやはり奴隷になった。それからしばらくして、日本は希望者を募りブラジルへ移民を出した。そう、芸能人のマルシアの家系にも日本人がいる。
イングランドもそう。以前に話したように、インド人・黒人もいる。彼らももともと奴隷や家政婦や召使だった。フランス・オランダにも黒人はいるが、彼らの先祖もやはり同じだ。ひどい事にオランダではいまだにあからさまに人種差別が存在する。
 我々日本人は単一民族だが、複数民族の国にはちゃんと汚い歴史が存在する事を忘れてはならず、そして我々はそれを知らなければならないと思う。なぜなら、彼らインディアンや黒人・ラテンの人々は決してそれを忘れてはいない。彼らが人間以下の扱いから、一人の人間として存在を認めてもらい、文化を築いた事に敬意を払い、彼らの受けた扱いを二度と繰り返してはならないからだ。そう、我々は19世紀の白人になってはいけない。

 カーラはゲバラについていろいろ語った。どういったところ尊敬し何がどうすごいのか、16歳の女の子とは思えないほど政治的な話だった。
 当然、カーラは僕にも尊敬する人を訊ねてきた。確か「老子と孫子」をあげたと思う。

 またカーラは僕の宗教についても質問してきた。彼女も、メキシコ人の多くも敬虔なカトリックなので僕のような無宗教者にとても驚く。そこで僕は「自分で作った哲学で生きている」と言った。すると、ぜひそれを教えて欲しいと興味深げだった。
「簡単にはいえないし、言葉で説明すると誤解を招く。だが、あえて言葉で説明すれば永遠回帰と言える。物事と言うのは常に繰り返される。それは歴史もそうだ。
そして、それはよりミクロの世界でも言える。例えば、最も貧しい人と最もお金持ちの人の差はじつに小さい。我々の事象は全て一つのリング状に存在し、例えば、お金持ちと言う点で言えば、最も貧しい人からお金持ちへずっとリング状を進むと最もお金持ちにぶつかるが、その最もお金持ちのさらにリングの先に進むとそこには最も貧しい人が存在する。つまり、金持ちと貧乏の差は気持ちの持ち様だ。お金持ちはお金で全てを所有するが貧乏人は気持ちで全てを所有する。貧乏人はあまりにも自分の所有がないために、全てのものを自分のものと思い込むことによりそうなる。しかしこれは最も貧しい人にしか得ることができない。なぜなら、少しでも所有がある人はそれに執着するからだ。その所有の所以に執着する。つまり、お金だ。これは他の事でも言える。
 馬鹿と天才は紙一重と言うのもそれだ。知識に溺れてみなさい。知識のみを神としてみなさい。ある一点に到達すると、それを捨てる事ができる。つまり、馬鹿になるんだよ。天才がその時点で馬鹿になる。
 権力もそう。ある一点に到達すると、それを捨てる事ができる。その時、世界一の権力者は世界で最も人の言いなりの人間になる。
 他の事も全てそう。だが肝心な事はその一点に到達すると言う事。もし到達しなければ、そいつはずっとそこにいる。それが今君が目にする事ができる天才や金持ちや権力者だよ。ではその一点に到達するにはどうすればよいか?それを、知識、金、権力を神と信じることだ、そしてそれを証明しようとする事だ。
 僕の哲学の基礎は『疑い』だよ。全てを疑え。自分、他人、親、兄弟、友達、法律、ルール、社会、習慣、人間そのもの。自分が見る、聞く、触る、感じるもの全て。
 疑い、問い詰めた時、多くのものを失うだろう。時に友達も失うかもしれないし、自分自身も失うだろう。だが、それでもまだ残ったものこそ、真実であり自分自身だ。
と、僕は考えているしそうしてきた。」

 と、僕の演説にカーラは黙って頷いて聞いていた。宗教を持ち、まだ16歳の彼女に僕の言葉は理解できない事は十分承知しているが、あまりその事を気にはしてなかった。

 それから、しばらくしてカーラの母さんが僕が泊まるホテルについて聞いてきたが、「いえ、まだホテルは決めてません。」と言うと、手配をしてくれる事になった。
「メキシコは安全な場所とはいえないから。この間もホテルの壁をぶち壊して強盗が寝込みを襲ったらしいわよ。」と母さんは話してくれた。
 ホテルの手配が住んだところで、カーラの両親はおばあちゃんの家に行く事になり、僕とカーラは食事に行く事になった。両親の車に乗せてもらい、レストランが建ち並ぶ繁華街までベンツで送ってもらった。(はじめてベンツに乗った!)
 何が食べたと言われても、何があるかわからないのでとりあえずタコをリクエストした。

 僕らが入ったレストランはメキシコ料理で、中にはまだ客は一人も折らず愛想のいいおっさんが出迎えてくれた。
 料理はカーラに任せててきとうに頼んでみた。最初にハンドボールぐらいあるでかいグラスにトロピカルなジュースが入ったドリンクが出されてきて、これがとてもおいしかった。メキシコのタコはインドカレーのような具をトルティーヤ(タコシェル)にはさんで食べる。具やそれに添えるスパイスはたくさんの種類があり、日本で見かけるようなレタスやチキンをはさむタコはここにはなかった。
 料理はとてもおいしかった。メキシコの小麦粉の匂いがいっぱいする。店員のおっさんは料理を運んでくるたびに、「おいしいですか?」と訊ねてきた。
 そう、ここでカーラに聞いてみた。「メキシコに来てからというもの、みんな僕の事をじろじろ見たり、手を振ったりまるでマイケルジャクソンみたいな扱いなんだけど、どうしてだろう?」 「そうね、ここら辺ではアジア人は来ないから見たことないの。それにりょうはメキシコ人好みの顔ね。」 との事だった。
 食事をしながらカーラはまたいろいろ語ってくれた。メキシコの歴史や国旗の意味について。もちろん僕は知っている話だが、驚いたのがカーラはまだ15世紀にスペイン人によってアステカが侵略された事を恨んでいたことだ。我々日本人にはわからないが、国を侵略されたと言う歴史はその国の人々にとっていつになっても許されざる行為なんだろう。
 またカーラは日本の歴史についても訊ねてきた。天皇が以前は日本を支配していたが、今は象徴と言うあいまいな地位にいる事を説明したが、やはり象徴と言う地位については彼女には理解が難しいようだ。いつも政治や歴史などの話ばかりするカーラだが、やはり普通の女の子で当時ちょうど上映されていた「タイタニック」はとても感動したと絶賛していた。

 レストランを出る頃にはすっかり暗くなっていた。腹いっぱい食べて二人で1000円くらいだったが、食事代はカーラが奢るといって聞かなかったが、持ち合わせがたりないということで銀行へお金をおろしに走っていった。この時はちょっと胸が痛くなった。いくら僕が旅人でカーラがホスト側であったとはいえ、日本との物価の差は歴然としている。それをカーラも知っているが。
 
 それからホテルの場所までカーラが送ってくれる事になった。途中、カーラの友達に偶然会い、3人でホテルまで歩いた。ホテルは大きな通り沿いにあり、普通のモーテルだった。ホテルについた時にはもう21:00ぐらいになっていた。
そしてカーラと友達に別れを言った。せめてもの気持ちで、僕は彼女たちにタクシー代を渡した。

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